麒麟がくる

【麒麟がくる】足利義輝ネタバレ!悲劇の剣豪の儚い末路とは?

放送開始以来ネット上を騒がせている【麒麟がくる】ですが、2月16日放送第5回には向井理さんが演じる「足利義輝」が登場しました。

ネット上では、向井理降臨!!

と話題騒然となりました!

今回向井理さんが演じるという足利義輝が気になります!!

調べてみました。

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【麒麟がくる】足利義輝ネタバレ!悲劇の剣豪の誕生について

天文5年(1536年)3月10日、第12代将軍・足利義晴の嫡男として「東山南禅寺」で生まれました。

幼名は菊幢丸(きくどうまる)で、誕生直後に外祖父・近衛尚通の猶子(=日本では養子と同じ意味)となります。

室町幕府では父・義晴と管領の細川晴元が互いの権威争いで対立し、義晴は戦をするたびに敗れて近江国坂本に逃れ、菊幢丸もそれにたびたび従いました。

これまでの将軍家の嫡男は政所頭人である伊勢氏の邸宅で育てられる慣例でしたが、菊幢丸は両親の手元で育てられたといいます。

天文15年(1546年)7月27日、菊幢丸は朝廷より、義藤(よしふじ)の名を与えられて、同年11月19日には朝廷から将軍の嫡子が代々任じられてきた「左馬頭」に任じられました。

左馬頭」というのは、古代日本における「官庁及び官人組織」のことで、将軍の後見職(副将軍的な存在)あるいは次期将軍が就任する官職と見なされていました。

これらは全て、父・義晴が朝廷に依頼し、実現したものでした。

同年12月19日、義藤の元服が執り行われ、六角定頼が烏帽子親となりました。

これは、今川晴元の管領としての権威を否定するもので、当時の流動的な政治背景を浮き彫りにしたものだったとか。

烏帽子親(えぼしおや)というのは、元服儀式の際に加冠を行う者のことで、 中世武家社会において男子が成人に達して元服を行う際に特定の人物に依頼して仮親になって貰い、当人の頭に烏帽子を被せる役を務めることが通例されていたそうです。

 

【麒麟がくる】足利義輝ネタバレ!悲劇の剣豪の儚い末路とは?人物像

「足利義輝」はその後室町幕府の第13代征夷大将軍となりましたが、いったいどんな人物だったのでしょうか?

※1536年3月10日- 1565年6月17日(享年29歳)

正式に第13代将軍になったものの、相変らず室町幕府は、実質力がなく、「細川晴元」が実権を握っていました。

お飾りの将軍という扱いをされる苦境の中で、剣豪として名を馳せていた「塚原卜伝」に師事し剣を学びます。

後に「塚原卜伝」直弟子として、奥義「一之太刀」を伝授され、研鑽をかさね、幕府の権威復活を目指し奮闘していました。

義輝は諸大名への懐柔策の一つとして、自らの名の偏諱(へんき)(1字)を家臣や全国の諸大名などに与えたといいますが、「輝」の字授かるには一定の献金が求められたそうで、「義」の字はその倍の額が必要だったとか。

偏諱を受けることができたのは、裕福な大名に限られていたといいます。

室町幕府の懐事情が伺えますね。

【偏諱を受けた例】

「藤」の字を細川藤孝(幽斎)・筒井藤勝(順慶)、足利一門の足利藤氏・藤政

「輝」の字を毛利輝元・伊達輝宗・上杉輝虎(謙信)などの諸大名や足利一門、藤氏・藤政の弟である足利輝氏

朝倉義景、島津義久、武田義信などのように足利将軍家の通字である「義」を偏諱として与える例もあったそう。

武家において「偏諱」を授けるということは、直接的な主従関係の証となるものだったそうで、権威復活に奮闘したという義輝の苦労も見て取れます。

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【麒麟がくる】足利義輝ネタバレ!悲劇の剣豪の儚い末路とは?

目の上のタンコブ「足利義輝」を疎ましく思う「細川晴元」、細川氏の家臣であった「三好長慶」、「松永久秀」らは謀反をたくらみます。

「将軍に訴訟がある」訴訟有と言うには多すぎる兵を引き連れて義輝のいる二条御所武衛陣を訪ね、取次ぎを待つことなく、御所の四方から攻め入り、義輝は落命します。

永禄8年(1565年)5月19日、のちに永禄の変と呼ばれる大事件です。

最期の戦いの折には、剣豪の云われのとおり、自ら剣を奮い、足利家に伝わる名刀を鞘から抜き、畳に刺しておいた名本もの刀を、刃こぼれするたび刀替えをして戦ったという逸話があります。

あまりの強さに、足利義輝を畳で四方から取り囲み、倒れ込んだところを一気に攻めたと言われていて、壮絶な散り方のエピソードは有名です。

「自ら命を絶った」など、所説あるようですが、人々の心に残るといいますか、そうあって欲しいとの願いが今の世まで言い伝えられてきたとのだと思います。

足利義輝 辞世の句

「五月雨は 露か涙か 不如帰 我が名をあげよ 雲の上まで」

しとしとと降るこの雨は、ただの露であろうか、それとも志半ばでこの世を去る私の無念の涙であろうか。

私を迎えに来たほととぎすよ、天高くへ飛翔し、誇り高く戦った私の名を雲の上まで広めておくれ。

当時、ホトトギスはこの世とあの世を行き来する、使者と信じられていたそう。

なんだか、グッとくるものがありますよね。

悲運の剣豪といわれるのは、その境遇と辞世の句があるからでしょうか。

義輝の死後、永禄10年(1567年)2月10日に上京の真如堂で、「義輝追善の六斎踊」が挙行され、摂津や近江坂本から集った2,800人が鉦鼓(しょうこ)を鳴らし、身分の上下を問わず男女合わせて7、8万人の群衆が参加してその死を悼んだと言われています。

鉦鼓(しょうこ)というのは雅楽の打楽器の一つで、念仏の時に叩く皿に似た丸い青銅製のかねのことです。

沢山の人が悲しみを音で表したのでしょうか・・・

歴史上の人物の中で、パッとすぐに出てくるような名前ではない「足利義輝」ですが、今こうして書いている管理人にしっかりお名前は届いてますよ!!

ファンもとても多いです!

【麒麟がくる】で向井理さんがどのように演じるのか楽しみたいと思います!

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